芸者ワルツ-在宅医療で軽度の認知症を患っていた患者さんとご家族の物語です
2025.07.16
以前寄稿したコラムを掲載します。
長野市と自馬村の中間にある山間地、通称西山地区。ここで在宅医療に携わり9年、ご自宅で看取らせていただいた患者さん数十名。そんな中で思い出深い方々の顔は今でもすぐに頭に浮かぶ。
「この家に嫁に来て52年のうち27年、半分以上が介護だよ。ボランティアに来たようなもんさ」そう笑い飛ばすHさんの奥さん。
夫のHさんは若い頃からお酒が大好きだった。そのくせすぐに酔いつぶれては、小柄な彼女が重いHさんをおんぶして自宅まで運ぶことになり、ご機嫌なHさんは決まって十八番の「芸者ワルツ」を歌い始める。彼女はそれを苦々しく聞きながら黙って連れ帰るのだ。
年寄りの面倒を若い者がみるのが当たり前だった時代。奥さんは畑仕事の合間にHさんのご両親の介護を合計9年も続けて、ようやく解放されたはずだった。
しかし直後に、今度はHさんが脳出血で倒れる。リハビリで何とか日常生活を取り戻しつつあったが、その後の再出血で寝たきりとなったHさん。この後、彼女の長い長い介護生活は丸18年にも及ぶこととなる。
私が診療に当たったのは、7年前に誤嚥性肺炎を発症した時から。当時は脳出血後遺症による嚥下機能低下のため、肺炎を頻繁に繰り返していた。それまで、その度に総合病院へ入院していたが、今後は在宅医療に切り替えて自宅でできる限りの治療をしよう、それでだめなら仕方ないと、奥さんも納得されたのである。その後計6回も肺炎を発症したが、抗生剤と献身的な介護により、もうダメかという場面を何度も切り抜け奇跡的に回復した。その都度満面の笑顔で感謝を述べられ、新鮮な野菜を持たせてくれる彼女に応えるために、こちらもできる限りの在宅医療を提供した。
Hさんは重度の認知症だったが、昔の記憶は残っており時々面白いことを喋り出し和ませてくれた。
ある時は、突然「只今ご紹介にあずかりました組長のHでございます」と大きな声で挨拶を始め、奥さんもビックリするやら可笑しいやら。私が「Hさん、調子はどうです?」と尋ねると、決まって「まあまあだな」と答える憎めないキャラクターは、芸者ワルツの時代から変わっていないのだろうなと想像した。
そんな在宅療養も終わりの時が近づいてきた。さらに嚥下機能が低下し、むせのために食べられなくなったのである。
経管栄養の選択はしない考えで、私も奥さんも一致した。それでもがむしゃらな彼女が1時間かけて少しずつ栄養剤をあげたおかげで、Hさんは何とか新年を迎えることができた。
そしてとうとう全く口にできなくなり、7日目の朝、息子さんに頬を撫でてもらった直後に大きな呼吸を一つして、Hさんは静かに息を引き取った。看取りに訪れた私を、奥さんはいつもの笑顔で迎えてくれた。普段と変わらない穏やかなHさんの顔を見て、不覚にも私の方が涙を抑えきれなくなった。そんな私を見送ってくれた彼女の目には涙はなく、その表情からは苦労を乗り越えてきた芯の強さを感じた。
最後の往診からの帰り道、朝焼けに染まる北アルプスの山並みが鮮やかに輝いていた。
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