ドラマのようにはいかないけれど

2025.07.28

「コード・ブルー」は救命救急センターを舞台に人気者の山Pやガッキーら若手医師たちが過酷な医療現場で奮闘する姿を描いた人気の医療ドラマである。シリーズ化されて高視聴率を取っているので、ご覧になった方も多いことだろう。

そのドラマでこんな場面があった。脳腫瘍を患った天才ピアニストの少女が、術後の後遺症でピアノが弾けなくなることを恐れ手術を頑なに拒んでいる。困った脳外科医の主治医は山P扮する主人公の藍沢医師に説得を依頼する。

「君はとても強い。君なら後遺症が残ってもきっとリハビリで元のようにピアノが弾けるようになる、大丈夫だ」という藍沢の言葉で少女はようやく手術を受け入れる決意をする。それを聞いた主治医は藍沢に対し、「後遺症のことを軽く説明したら後で訴訟になる可能性もある」とたしなめる。しかし藍沢は「訴訟のリスクよりも自分はどうしても患者をを救いたいのだ」と告げ、主治医は「いつからだろう。医者が患者に大丈夫と言えなくなってしまったのは」と漏らす。

 

現在町医者をしている私が総合病院に勤務していた10数年前ですら、入院時、検査前、手術前には必ず承諾書にサインをもらうのが当たり前で、面倒な書類が山のようにあった。それは後々の医療訴訟を避け、説明責任を果たした証拠となるためやむを得ないことではあるのだが、極めて低い確率でも最悪死亡する可能性がありますなどという承諾書を説明する方も、サインする方も大きなストレスである。

本来医療行為には不確実性やリスクが伴うし、元々高齢者は予備機能が低下しているために様々なトラブルを起こしやすい。明らかな医療ミスは論外であるが、善意で行った医療行為の結果、不幸な転帰をとった場合にすら医療者を執拗に責めたり何かミスがあったのではないかと細かく追求してくる家族が一部にいて、ただでさえ疲労している勤務医に心理的負担となっているのも事実である。その結果心折れた勤務医は病院を立ち去り、訴訟リスクの高い産婦人科などはさらに数が減り、地方では里帰り出産の受け入れができなくなってきている。

 

開業医の3代目である私の患者さんには祖父の代から通院されている方も結構いて、祖父の思い出を時々語ってくれる。皆さんが口を揃えて言うのは診察を終えた祖父が笑顔で大丈夫だという姿を見てすごく安心したということ。明治生まれの祖父の時代には、現代のような高度な診断技術や検査機器はなく治療手段も限られていたが、今よりも医師と患者の親密な信頼関係が存在した古き良き時代であったと思う。いつの時代でも、医師は患者に笑顔と安心を与える存在であり続けたいものである。

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